『卜』のオシエ by.ユヅキノウララ

古代日本史解説の資料用ブログです。

『蛇神』は「水の神」ではなく『山神』①原始の日本古来の『蛇神』

古代日本は大蛇、蛇の神への信仰の場

 


古代日本は大蛇、蛇の神への信仰の場であった。「縄文土器」にも「蛇」の造形が見受けられるのは有名である。神社の注連縄(しめなど)には「二元性」が表され、お正月の白餅=白蛇、稲荷の白狐=元は白蛇(稲荷者には必ず白蛇の像などがある)など様々にその神を表す象徴が派生していった。

 


蛇の信仰は、世界各地に「跡」を残している。遡れば、メソポタミア時代にまで時空を旅できるものである。それは日本にも定着し、独自の形態を成し、今日まで続いてきている。それは本当である。蛇の信仰は中国からではない。まったく違う。それはさらに古代に遡る。

 


陰陽五行によって『蛇』が『隠』とされた

 


日本古来の神社の社(やしろ)に祀られる神の起源というのは、祖霊であり、蛇神である。どういう事かというと、まず、6~7世紀の事である。その頃には、中国からの陰陽五行に基づいた「新しい神々」が渡来してきた。その中では、蛇の神とは『陰』の極とされていた。『隠』とは『鬼』と同じである。これが蛇を鬼とし、同じとした、ポイントである。

 


われわれにもともとあった「原始」にあたる大蛇や蛇の信仰は、外来から来た神々とさらに混じり合ってきたわけである。だから、中国や外来の蛇神を日本が受け入れて今日に至るのではなく、この時代以前に、日本古来に独自にあった祖霊、蛇神を祀る信仰があった。そこに6~7世紀ごろ、中国からの陰陽五行思想が入ってきて、融合を成て今日に至るというわけである。つまりは、陰陽道によって『蛇』が『隠』とされた。では、本来の「原始」の『蛇神』とはどういったものか?

 


『蛇神』とは「水神」ではなく「山神」

 


先に述べた通りで、それ故に、蛇とは稲作が伝来した時に生まれた「水の神」というわけではない。そもそも蛇とは『死と再生』を司る『生命の源(みなもと)』の意味を成し、「山の神」である。まず初めに山神、すなわち「宇賀神」や「荒神」に繋がるであり、「山の神」とは水神の神格も含み合わせた総称)である。だから、『蛇神』はもともと原始に水の神というわけではない。昨今はなぜ、蛇や龍を水へと結びつけるのかというと、それは「外来からきたニューエージ思想」が影響しているのではないかと思う。


山、そこにある水や川や滝の全てを総括した意味を為す『日本古来の蛇神』は、『死と再生』を司る『生命の源(みなもと)』の意味を成し、「山の神」であった。その「原始」の神に、中国からきた陰陽道、外来の思想が混ぜ込まれ、人の数ほど幾通りにも複雑に進化した結果、そのほんの一部に「稲作時に川は重要となり、川の神、水の神=蛇神信仰があった」と云われているだけである。あくまで、水の神は一部の神格に過ぎない。

 

ニューエージのスピリチュアル的ビジネスとは

 

1980年代「ニューエイジ」が流行し、神秘的な力やオルタナティヴな感性、宇宙や自然とのワンネスや「覚醒」を謳っていた。そこよりインド、チベットなどとシンクレティズム(繋げる)を行ったりする。これは、アメリカのカウンターカルチャー(60年代から70年代)というものから始まり、神智学(19世紀末くらい)にもルーツを持つ。

 

ニューエージの難点とは自分の立場をニューエージとは認識していなかったりする。また、自由志向、権力嫌いの特色を持ち、これを『歴史』に融合させてしまうと、たまに、正しくない歴史を流布したり「実在の氏族や末裔」についての風評被害を起こしながら、それを全て問題がないかのようにビジネス化したりを見受ける。故に、これは気をつけなければいけないと思う。都市伝説とは都市伝説であり、風説の流布、あるいはビジネスであり、真の歴史ではないというものが多すぎる。実在の氏族、末裔の関わる事を断言するのは嘘や誤りが多い。また、現在の彼らのビジネステーマは「水」である。


『蛇神』とは『死と再生』を司る


『蛇神』とは『死と再生』を司る「山神」というように説明したほうが、「大山津見神(おおやまづみ)」や娘神、「宇賀神」や「荒神」が『蛇神』なのである事がしっくりとくるはず。何故、大山津見神(おおやまづみ)の娘神の神大市比売(かむおほいちひめ)から、宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)が生まれたか?などが、よくわかるだろう。水や海ではなく『山の神』が『蛇神』なのである。


山神が蛇神であるのが古代日本であり、それが日本古来の蛇神なのである。蛇神は「水神」ではないのだ。もしもこれを「水」や「海」からとするならそれは「外来の神」であり、古来の日本の蛇神を指していない。伝わるだろうか。稲荷神社は神の御使いとして白狐が座すが、そもそも白い狐は白い蛇であるから、稲荷神社には必ず白い蛇の像が社の中や隅にあったりするはずだ。それが蛇神は山神と繋がり、宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)が祀られる社に白蛇の像がある繋がりなのである。

 


素戔嗚尊(すさのおのみこと)の八岐大蛇退治』の神話

 


素戔嗚尊(すさのおのみこと)の八岐大蛇退治』の神話は有名である。古代に、蛇は「水の精霊」とも表現され、稲作だけではなく農業での収穫の運命への影響が強い=水の影響を神格化した神となっていた。この際には、古代の巫女たちは神に『豊穣を祈る儀式(祈雨・雨乞い、きう、あまごい、祈止雨は雨を止める)をしたりしていた。

 


八岐大蛇伝説とは、本当は大自然の『神(山神)』である「大蛇(おろち)」「蛇神」に奉仕をして、人柱、人身御供存在となってきた『巫女』の有様を映し出していると考えている。また、八岐大蛇への人身御供(ひとみごくう)とは日本古代では村民たちというより『巫女』たちがその役目を成したきたと思う。古代の生贄儀式は「巫女」が捧げられたとされている。

 


古代にあった人柱、人身御供は「巫女」

 


例えば、穗積氏らの祖である、弟橘姫(おとたちばなひめ)が夫の倭建命東征の成功を祈り、嵐の荒波に身を投げ、命をかけての祈願を行ったという様な説話に同じくである。この様に、日本古代にあった人柱、人身御供とは、生贄とは異なる意味合いではあるが、古代日本では『命をかけて』のような意味での「人身御供(ひとみごくう)」という考え方が存在していた。

 


そして、古代の出雲信仰による出雲王国での人柱、人身御供をたてた豊穣儀礼、祭祀について描かれた伝承が、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の八岐大蛇退治に映し出されていると筆者は捉えている。また、かつて、出雲の地が、越国(の民)により支配がなされていた事より、そこに繋げられる諸説がある。それはそれとして、八岐大蛇に捧げられるという人身御供については、川に立てられた人柱(実際に生きた人間が埋められた)のならわしの様なものが見えてくる気がする。

 


外来の海の民、水の信仰

 


「原始」の『蛇神』=『山神』であった時代に、海からきた人々により伝来した「外国からの蛇神信仰」は、「日本原始の蛇神」の信仰に融合を成して、今日までの蛇神信仰とは「水」という思想や形態を残してきたと考えている。採算に書いているが、原始には蛇神は山の神、水を含んだ全てを指す神であったのが、外来思想により「水」が強調されていく事になった。

 


古代には山神、その次に、その山からの一部にある水源、川、滝、などからの水神の信仰、何股にも分かれた大川の大蛇(おろち)の信仰が生まれ出てきた。日本古代、古来を考える際に、蛇神は水の神であると断言したり、固定概念を植え付けられないほうが、本来の日本の神々や自然との繋がりがよくわかると思う。『蛇神』は、「水の神」ではなく『山神』であった。

 


つづく