『卜』のオシエ by.ユヅキノウララ

古代日本史解説の資料用ブログです。

古代出雲族とは ①天之菩卑能命の子の天夷鳥命、その末裔

⬛️古代出雲族とは

日本神話には、以下2系統に属する一族がそれぞれにある。1つは、スサノヲの子孫の十七世神、地祇系(ちぎけい)に属する一族。もう1つは、天之菩卑能命アメノホヒ)の子孫は天神系、天孫族とある。

 

出雲族(いずもぞく)』と呼ばれる系譜は、基本的には、スサノヲの血筋の家系とされる。スサノヲとは、記紀古事記日本書紀)において、イザナギイザナミ御子神とはされる。

 

スサノヲの兄弟は、天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと/伊勢神宮天照大御神 あまてらすおおみかみ)と、月読尊(つくよみのみこと)であり、三柱の兄弟神は『三貴子(みはしらのうずのみこ)』と呼ぶ。

 

現在「神様といえば?」を問えば、『天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと/天照大御神 あまてらすおおみかみ)』の答えが出てくるであろう。その次には、この『三貴神(さんきしん)』であろう。そして、『国譲りをした大国主神(おおくにぬしのかみ、大國主神=大己貴神)』もそうだとは思う。

 

しかし、そもそも、記紀ですら、本来の出雲大神の宮にある神宝とは、『国譲りをした大国主神(おおくにぬしのかみ、大國主神=大己貴神)』ではない。

 

「武日照命(タケヒナテルノミコト)が天より持ち来れる神宝」である。すなわち「一に云わく、武夷鳥(タケヒナトリ)という。又云わく、天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)という」との注釈もある。この神は、崇神紀「武日照(たけひなてり)命」、日本書紀出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」などに見える神である。


古事記』「天之菩卑能命アメノホヒ)の子武比良鳥命(タケヒラトリノミコト)は出雲国造らの祖」とあり、出雲国造の神賀詞には、天孫降臨の使者、天照大御神とスサノヲとの「誓約(ウケイ)」で生まれた天之菩卑能命アメノホヒ)の子の天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)がもつ出雲の神宝である。

 

つまり、

 

『国譲りをした大国主神(おおくにぬしのかみ、大國主神=大己貴神)』が正当古代出雲族という事ではなく、出雲の神宝を持っていたのが『天之菩卑能命アメノホヒ)の子の武比良鳥命(タケヒラトリノミコト、武夷鳥)つまり、天夷鳥(アメノヒナトリ)』という出雲国造らの祖が原初の出雲族であると筆者は見る。

 

天日照命(あめのひなでりのみこと) とも称される天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)の名は「高天原から 夷(鄙・ひな=出雲国)へ飛び下った鳥」の意。この天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)に、記紀神話で活躍した「布都怒志命(フツヌシノミコト)」は遣われている。

 

そもそも、出雲大神の宮にある神宝は、記紀神話での「国譲りをした大国主神(おおくにぬしのかみ、大國主神=大己貴神)」なのではない。

 

国譲りの交換条件として建立された出雲大社の祭祀を執り行う「出雲国造(北島氏、千家氏)」は、天照の天照大御神とスサノヲとの「誓約(ウケイ)」で生まれた第二子天之菩卑能命アメノホヒ)の裔孫なのだ。

 

天之菩卑能命アメノホヒ)の子の天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)がもったのが本来の出雲の神宝を持っていた古代出雲の一族。

 


國學院大学データベース(http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/takehiratorinomikoto/

日本書紀崇神天皇六十年七月己酉条には、武日照命が天から将来して納められたという出雲大神の宮の神宝が天皇に献上されたことをめぐって、出雲臣の遠祖・出雲振根と弟・飯入根との間に起こった事件が記されている。

この話は、出雲国造が神賀詞を奏聞して神宝を天皇に献上する儀礼と関係する伝承とも考えられ、出雲大神の宮の神宝とは、出雲国造神賀詞の伝承の中で、天夷鳥命が地上に降って大国主神を鎮定した際に用いられた呪具のことだとする説もある。

 『新撰姓氏録』に、天穗日命の子・天夷鳥命(天日名鳥命)の後裔とされる出雲宿禰や出雲臣が見える。出雲臣は、意宇郡を本拠として出雲国造世襲した豪族。出雲宿禰も、出雲臣が宿禰姓を賜って出た氏族である(『続日本紀延暦十年九月丁丑条)。

 

まとめ、

 

崇神天皇60年7月、崇神天皇は「武日照命(日本書紀)(建比良鳥命古事記))(天穂日命の子)が天から持って来た神宝は出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(タケモロスミ)を遣わした。

 

出雲の飯入根(いいいりね)が、当時の出雲の当主であったが、兄の出雲振根には無断で出雲の神宝を献上してしまった。出雲振根は飯入根を謀殺する。しかし、振根は大和朝廷に誅殺される。(『日本書紀』)

 

この後にあった律令制下で、出雲国造の領域を元にして、昨今よく知られる出雲国が7世紀に設置された。古代出雲(こだいいずも)とは、そもそも、弥生時代古墳時代の出雲の国(現在の島根県東部および鳥取県西部)にある出雲平野、安来平野を中心に存在したクニをさす。本来は、出雲臣の遠祖・出雲振根(ふるね)と弟・飯入根(いいいりね)が治めていたという。